豆知識・ベトナムの近代歴史

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ベトナム 近代歴史

第二次世界大戦終戦後の1945年9月、ベトナムは東西冷戦の煽りを受け、社会主義と民主主義の2つの国家に分断されました。1965年にアメリカ軍が空爆を行ったことから始まったベトナム戦争は、その後10年間続きます。枯れ葉剤の影響による奇形児の誕生をはじめ、現在まで大きな傷跡を残しています。戦争は北ベトナムの勝利に終わり、東南アジア初の社会主義共和国として成立します。首都はハノイ。南ベトナムは吸収合併されることになり、首都であったサイゴンはホーチミン市となり、首都は北部ハノイに移行します。この結果、民営企業の多くの公営化、商業活動の制限など、南部の経済システムは混乱してしまうことになります。

ベトナム 近代歴史

対外危機の80年代から関係精算の90年代へ

1978年12月、ベトナムは敵対する隣国カンボジアに侵攻。2週間程度で首都ブノンペンを占領します。しかし、その1ヶ月後には中国から侵攻されてしまいます。これは「中越戦争」と呼ばれ懲罰的な意味合いがあり、国内の混乱はもちろん、対外的な信頼度にも大きな危機に面している時代でした。1991年、中国との関係を正常化したベトナムは、その後1992年末には日本からのODAを再開。1994年にはアメリカの経済封鎖も解除されます。1995年にはASEANに加入し、その後、対立国であったアメリカと通商協定を結ぶことにもなります。

対外危機の80年代から関係精算の90年代へ

近年の日越関係は概ね良好

21世紀以降、日本とベトナムは緩やかな同盟関係と称されるように、良好な距離感を保っています。日本政府や経団連が経済援助を行う、ODAの最大支援国である、などが挙げられます。特にODAはタンソンニャット、ノイバイの両国際空港をはじめとして、インフラ建設および支援を行っています。ベトナムでは日本のバイクを利用しているユーザーも非常に多いです。特に、「ホンダ」というブランド名がバイクを意味している時期もありました。日系企業や労働者、留学生のこの国への進出も盛んで、2013年現在、在留邦人も9,000人、進出している日系企業も1,000社を超えるなど、両国間の関係性は非常に良いと言えます。

近年の日越関係は概ね良好
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